たかみち cover illustration

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こりゃもう下手すると今でしか買えないフィギュアだわー。まあ値段だけ考えるとぶっちゃけ高いんですけど。エロ目的ならフツーに考えれば絶対メガハウスのQBフィギュアとか買った方が良いよ。脱がせて楽しいとか何か持たせて楽しいとか全然ないし。これに関してはロリであるということだけにそれだけの価値がある!としか。
ダンジョンブックスの3000円ごとのテレカプレゼントって何かと思ったら、今はなきコミックZipの表紙テレカだった……。いや蘭宮涼好きなんで嬉しいけど。


ところでなんで生殖能力のない少女に欲望するのか?という理由として、「精神的に未成熟な男は、自分の言うことを聞いてくれそうな人形のような少女に対してしか欲望できないのだ」というのはよく言われることだけど、それだけですべて説明してしまうのはちょっと違う気がする。
少女は単純に見た目が美しいんである。さらに言えばこの「美しい」は総合的なものでなく、単に肌のツヤであったり、柔らかそうな体のラインであったりするだけのハナシ。男にとって性欲のスイッチが単純な視覚刺激である限り、年齢による区別なんてのは男にはない。これが理解されずに(または意図的に無視されて)少女愛は想像でさえも許されないタブーになろうとしている。ロリ規制なんて実際には何の役にも立たず、単に政治家の人気取りやら天下り先確保やらにしかなってないんだし。
頭は大人、体は子供みたいな女性が理想っていう人は少なくないと思うんだけどなあ。コナンの灰原哀みたいな。逆だったら絶対にイラついてやってられんわー。

欲望と愛情は別なんです。女にはそれがわからんのですよ!
まあ簡単に言えば、総合的な外見重視=動物的、パーツ重視=観念的な女性性を重視するオタクのほうが人間的、という言い方もできるんである。すごい詭弁チック!


あと秋葉原いえば献血ルームがあったので数カ月ぶりに献血に。秋葉原献血ルームは初めて入ったんだけど、すごい未来的なかっこいいデザインの待合室!というのに初音ミク製品がズラーリと並ぶ初音ミクショールームになってて驚いた(さすがに抱き枕はなかったが……)。別に初音ミクファンじゃないのけど、あとからネットで調べるとホログラム装置はなかなかレアなものだったみたいで、もっとちゃんと見ておけば良かったなあと思ったり。つい全血献血にしてしまったから4週間は行けないんだよね。
http://www.tokyo.bc.jrc.or.jp/rooms/roomhp/room15.html
1月で展示は終わっちゃうそうなので、もっと早く来てれば良かったなあ。来月から展示も変わるみたい。
みんなも献血しようぜ!

フレッシュプリキュア!ミュージカルショー

内容はダンスをウリにしているフレッシュプリキュア!らしく、個々人がラビリンスの策略で分断されつつも、歌とダンスで周りの人々を幸せにしていくという内容。ボーカルソング集の曲が劇中で全部使われてて、先に聞いておくとさらに楽しめる。ていうかボーカルソング集の曲もいい曲が多いんだよね。前期のプリキュアは超ベテラン小杉保夫の曲がどれもノリが良くて好きだったんだけど、小杉が抜けたあともこれなら大丈夫!
キュアパッションの活躍するとこだけちびっこの応援がやたら熱いのは、登場して間もないからだろうか?
これで3000円だから買ってもいいなあ。


それにしても茂家瑞季の歌が下手すぎる……。CDより生歌が上手いということはあり得ないのだけど、それにしてもちょっと……。ボーカルアルバムでも声優さんたちのほうが上手かったような。これで1年間テレビに流れ続ける主題歌を歌う歌手のレベルなのか。あやまれ!全国のシンガーソングライターの卵に謝れ!

キリスト様もまさか日本人がこんなに鶏好きだとは思うめえ

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

いやなんかスーパーで鳥の足がズラララーと並んでるのを見ると、人間って、宗教ってすげえ残酷だなあといまさら思ったりするわけさ。この日のために、神の名のもとにどれだけタイやブラジルの鶏が殺されたのだろう?
ちなみに本のほうは、自分も宗教原理主義者たちにつきあって反論しているような気になってきてだんだん疲れてきたので途中まで読んで図書館に返却。
いやほんと宗教なんてろくなもんじゃない。ドーキンス先生にはがんばってもらいたいところ。日本人には一神教の感覚って完全には理解できないんじゃないだろか。
日本人の常識は世界にまったく通じないってことを学ぶのが真の国際化だと思うよ!


それはそうと日本でもバブル景気以前は、クリスマスはたいした経済効果のないイベントだったそうで。まあつきあう相手もいないからいいけどさ。ケーキは買ってないけどフレッシュプリキュア!のお菓子ブーツが半額だったのでつい購入。

若者殺しの時代 (講談社現代新書)

若者殺しの時代 (講談社現代新書)


なんてことはさておきツタヤでこれがレンタル開始してたので借りてきた。

 大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説

背景フルCGというのは、SF映画に相性がいい。


シナリオはわりとシンプルに、それでいてこまめに盛り上げるポイントを作ってて、子ども向けらしく飽きさせない作り。
今回の映画はとにかくワイヤーワークを使用したアクションが良かった!空も飛べれば手からビームも出る宇宙人たちが、人間と同じ格闘術で戦うわけない*1んであって、そのへん意識したアクションを見せてくれるのが嬉しい。ベリアルもとにかく強く!悪く!が魅力的に描かれていたと思う。


ただ再生怪獣がやっぱり弱いのと、やられるとCGっぽくパーティクル拡散でシュワシュワ消えちゃう表現はちょっと残念。タイ映画みたくもっと残酷にいきましょうよ!
マンとセブンとメビウスが怪獣軍団と対峙するシーンで、手前にゼットンパンドン、インペライザーといった最強レベルの怪獣が並んでて、「うわヤベエ!」みたいなドキドキがあったのに、あっさり倒されてしまうのはわかってたとはいえなんだかこうスッキリしないものが……。


ラストバトルも、君の力が必要だ、とわざわざ拉致したレイよりもゼロのほうが目立っちゃってるのはどうかって気がする。レイいなくてもなんとかなりそうじゃね?
もちろんおもちゃの関係もあるし一応レイは居る必要があったんだけど役割的なバランスが悪いような……。どうして円谷は、メビウスでいい仕事をしていた赤星政尚をこういう大集合企画で起用してくれないのかしらん。


あと力を指向して悪に染まってしまったベリアルと対置される存在として、同じように戦いと力への欲望を持ちながら正義の側にとどまっているレイとゼロは二人とも同族であり近しい存在であると思う(と同時に「強さ」というのはすべての男の子が持っている根源的な欲望でもある)のだけど、その辺をあまり深くまたは魅力的なセリフで書いてくれなかったのがちょっと残念。セリフだけでもいいからうまく膨らませれば腐女子人気も取れそうなネタだと思うんだけどなあ。「レイ……お前を俺の色に染めてやる……!」みたいな。


てな感じてちょこちょこ不満点はあるけど、総じてすごく楽しめる出来。昔てれびくんで読んだウルトラの歴史が初めて公式にビジュアル化したってだけでもう!完全におっさんホイホイですな。


それはともかくとして、劇場の大画面だとウルトラ戦士たちの目の覗き穴がすごく気になる……。
特にレオとアストラ、父母が。80以降のデザインを見てると覗き穴をできるだけ目立たないようにがんばってるし、やれば十分にできるはずなので、劇場用にデザイン変更してもいいと思うんだけどなあ。デザイナーにしても、子供が似顔絵書いたときに黒目があるウルトラマンなんて見たくないんじゃないかって気がするけど。手袋部分のチャックも同じで。このへんはやっぱり変えるとオールドファンがガッタガタ言うんだろうか?
俺みたくあの穴が子供の頃から気になってしょうがない人も結構いると思うんだけど!

*1:ライミのスパイダーマンで、殴り飛ばしたゴブリンをウェブで引き寄せてさらに殴る、ていう殺陣は未だにお気に入り。超人vs超人のバトルはこうでないと!

 岡田斗司夫のひとり夜話 第4回

毎回通いの第4回。詳しい話は他のブログで。


1つ目の話は本の整理の話。
読まない本を持っていてもそれは場所と時間の負債である、という考え方はわかるんだけど実践しようとするとなかなか……。雑誌は目次だけ切り取る、とか思い出の本はミニ本を自分で作るというのはありなんだけど、これに関してはレコダイ的な思考の切り換えのステップ化はちょっと難しいような気がするな。


2つ目の話はゲームの話。
昔遊んだゲームの話から始まり、終わりは徹夜で「どこでもいっしょ」のトロの帰りを待ち続ける娘の話というちょっと泣ける話で(話してるほうもちょっと涙ぐんで)締めるというのは岡田トークの真骨頂。


3つ目の話は岡田流ノート術。
頭のいい人はアイデアソースを頭の中でジャグリングしてアウトプットしているようなもので、ノートに書くのはそれらをデスクトップに乗せて整理しているのだ、というのは上手い例え。


スケジュールや読んだ本の感想など、思いついたことをすべてノートに書いてくというのは福田和也のノート術にちょっと似ているなあと思ったけど、左脳的なアイデアを右ページに書いて整理、右脳的なアイデアを左ページに書いて膨らませる、というのは独特でかつなかなか理にかなってるんじゃないだろうか。思考を広げるにしても、それを自分のこととして考えてみる、というのはなかなかやらないことなので、意識してやるのは役に立つと思う。

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 (PHP文庫)

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 (PHP文庫)

前回もこんな感じで納得できれば良かったのに……ていうか前回があまりにも根拠なしな話だったのだ。*1

ノートは自己の思考を客観的に見る方法であり、社会・電脳の他に自分が持てる第3の世界である。そして脳内での情報のリンクと思考の積み重ねが自分の「見識」となり、毎日が面白く過ごせるようになる、というのも納得。
まあ1日1冊のペースで本を読む人じゃないと面白い思考もできないんじゃ?というツッコミはなきにしも非ずであるけど、上から目線で語らない、というルールを破ってまでオススメするだけのことをあると思った。
来年から実践してみよう!

*1:以前岡田は柳田理科雄は科学的でない、と言っていたことがあったが、いくら理屈づけしても相手を説得できないぶんには科学的でないし、単なる言いくるめでしかない