岡田斗司夫のひとり夜話 第4回

毎回通いの第4回。詳しい話は他のブログで。


1つ目の話は本の整理の話。
読まない本を持っていてもそれは場所と時間の負債である、という考え方はわかるんだけど実践しようとするとなかなか……。雑誌は目次だけ切り取る、とか思い出の本はミニ本を自分で作るというのはありなんだけど、これに関してはレコダイ的な思考の切り換えのステップ化はちょっと難しいような気がするな。


2つ目の話はゲームの話。
昔遊んだゲームの話から始まり、終わりは徹夜で「どこでもいっしょ」のトロの帰りを待ち続ける娘の話というちょっと泣ける話で(話してるほうもちょっと涙ぐんで)締めるというのは岡田トークの真骨頂。


3つ目の話は岡田流ノート術。
頭のいい人はアイデアソースを頭の中でジャグリングしてアウトプットしているようなもので、ノートに書くのはそれらをデスクトップに乗せて整理しているのだ、というのは上手い例え。


スケジュールや読んだ本の感想など、思いついたことをすべてノートに書いてくというのは福田和也のノート術にちょっと似ているなあと思ったけど、左脳的なアイデアを右ページに書いて整理、右脳的なアイデアを左ページに書いて膨らませる、というのは独特でかつなかなか理にかなってるんじゃないだろうか。思考を広げるにしても、それを自分のこととして考えてみる、というのはなかなかやらないことなので、意識してやるのは役に立つと思う。

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 (PHP文庫)

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 (PHP文庫)

前回もこんな感じで納得できれば良かったのに……ていうか前回があまりにも根拠なしな話だったのだ。*1

ノートは自己の思考を客観的に見る方法であり、社会・電脳の他に自分が持てる第3の世界である。そして脳内での情報のリンクと思考の積み重ねが自分の「見識」となり、毎日が面白く過ごせるようになる、というのも納得。
まあ1日1冊のペースで本を読む人じゃないと面白い思考もできないんじゃ?というツッコミはなきにしも非ずであるけど、上から目線で語らない、というルールを破ってまでオススメするだけのことをあると思った。
来年から実践してみよう!

*1:以前岡田は柳田理科雄は科学的でない、と言っていたことがあったが、いくら理屈づけしても相手を説得できないぶんには科学的でないし、単なる言いくるめでしかない