超星艦隊セイザーX

最終回一歩前ということで盛り上がっております。
バレーダの最期はあっさり過ぎ。ていうかまだ勝算があるというのにあれで殺されちゃうなんてヒドーイ。顔出しの女性幹部を倒すというのはなかなか難しいですな。
巨大ダークゲランの表現は劇場版みたい。比較対象がなくなって全体的な巨大感を出すのが難しいものの、合成も巧いしがんばってるなあ。市街戦のほうがいい(ウルトラマンガイアとか)けど手間がかかりすぎるかな。
そういえばセイザーX地球防衛軍は全然出てこないけどどうなってるんだろう?他の特撮作品と同じく出ないのがお約束になったのかな?
脇役のセイザーメンバーにも全員見せ場が用意されて、メインメンバーも全員決戦の場に集合。当たり前だけどこういうのはちゃんとしておかないとね。お父さんはさすがに来てないけど来週は果たして。


先週予想したブラックライオは別に黒たっくんじゃありませんでした。予想ハズレ。
ブラックライオとの問答はわりと普遍的なことをやってるなあという感想。非人間的な秩序、停滞よりもあえて人間的な混沌、自由を選ぶ、というのは他の作品でも語られてるテーマだけど、セイザーXは仲間の対立を丁寧に描いてきた分たっくんの言葉に説得力があるのが良いところ。泣かせる。


しかしこういうのはよくよく考えていくとすごく難しい。ネオデスカルが闇の世界を望んだといえ、それが果たして完全に悪いことなのか。それに敵とも分かり合えるというのなら、なぜネオデスカルと戦って殺さなくてはならないのか。
劇場版エヴァンゲリオンで語られてるテーマと同じ*1だけど、果たして人間にとってどちらが幸せなのか。ヒーローものとしては『自由』の側に立つのが普通だけど、自由というのは弱い人間にとってかえって辛いものという側面もある。他人を理解しろ、他人に理解されろ。他人と競え、他人を救え。全ては個人の決断だけど、そこには全て責任が伴う。どんな理不尽も、全ては自分のせいなのだ。


そういうことを考えられる日本が平和で自分も平和ボケしてるってことなのかな。アメリカなんて『自由』という価値観を押しつけることになんの抵抗もなかったりするけど、その結果世界の嫌われ者だしなあ。
ヒーロー番組はそういう意味で夢であり、理想の未来であり続けるのだろうな。


とかなんとか余計なことを考えてみる。大人っていやあね。
まあそれだけ気持ちに訴えるところがあったということで。

*1:ナディアの頃にもネオアトランティスは何が悪いの?という議論がスタッフ内でもあったそうである