無痛文明論

つづき。最後まで読んだけど結局無痛文明を否定した先にあるものが良いものである、というのが実感出来なかった。筆者が無痛文明と戦うことを必死に説いているものの、やはりある程度明確な目的がなければ人は動かないものだ。
もちろん筆者が言いたいことが「より良く生きる」こと、「愛」について、という哲学の普遍的な問いに対する答えというのはわかるのだが、それにしても説得力は乏しいように感じる。
そもそも人間は矛盾があるものだし、それを否定しようとしても否定しきれない。そこを如何に突破するか?というのが哲学なのだろうけど、そこまで至らないまま、これ以上語ると自分自身も無痛文明に囚われてしまう、と結論してしまうのはちょっと無責任な気がする。筆者の語り口のせいもあると思うけど。
結局自分が筆者の考えにたいしてまるで感銘を憶えないのは、無痛文明に囚われているというわけではなく、自分の中になんらかの哲学があるせいなのかもしれない。悩みのない人間に宗教は必要がないのと同じように。
哲学病の根源がナルシズムであるなら、自分はそこまで我が強くないというだけのことなのかもしれないが。悔いなく生きる、ということと、死ぬのが怖い、というのは関連しているのだろうか?