常識としての軍事学

常識としての軍事学 (中公新書ラクレ)

こっちも必読。「軍事学」というものについて、いろいろな面からわかりやすく書かれている。
軍事というものが我々の日常から決して遠いものではなく、その技術が文明を進歩させてきたのは悲しいかな紛れもない事実。それをちゃんと見つめた上で、どうやって戦争を回避していくかというのが人の知恵というものだろう。軍事というものから目を背けているだけでは一歩も前には進めない。というより進まざるを得なくできているのが人の世というもの。自分の人生を振り返って、他人と争ったことのない人間などいるだろうか?


抑止力としての軍事力の存在のくだりはまったくその通りだと思うのだけど、それ以外の手段というのが書かれていないのは軍事学の範疇を越えるからなのか。クラウゼヴィッツを引かなくても外交も戦争もみんなつながっていると思うんだよな。それを日本の一般大衆に理解してもらうのには、次に戦争が起こる前に、果たして今からでも間に合うだろうか?
実際は石破氏が心配しているとおり、この国は世論が一気に動いてしまうので、それが一番恐ろしいのだ。それこそメディアリテラシーが大事になってくると思うのだが。


結局軍事アレルギー問題は公と個という問題に行き着くような気がするな。



靖国問題もはっきり言って戦争に結びつくようなクリティカルな問題じゃないというのに、あんなに大事になるのはマスコミのせいなのかな。

代替施設だって発案したのは日本側だったような、それに参拝自体じゃなくて、靖国神社の存在自体を国内プロパガンダに利用してるのだから、施設を作ったって税金の無駄だと思うし、それで関係が確実に改善するという保証もない。誓約書でも書いてもらうつもりなのか?
外交がどう冷え込んで、誰がどう不利益を被るのかちゃんと発表してもらいたいところ。ここがわからないうちは議論の意味がないのだが、そんなこと言えるはずもない。
靖国神社の正当性に文句をつけても、いまさらそれがどうだというのか。信じている人がいる以上、信仰というのは完全に否定はできない。無神論を言うなら先祖の墓を蹴り倒してからじゃないと話を聞く気にはなれないね。

ノムヒョン大統領の極東バランサー発言みたいな国内プロパガンダを、さも大事のように報道する日本のマスコミがオッペケペーなのかもしれんけど、それにコロリと引っかかる人が多いのも教育の問題なのかもしれないね。
しょっちゅう起きているにもかかわらず、中国や日本で報道されることのない中国の暴動映像を撮ったワシントンポストはちゃんとしたジャーナリズムだと思う。