新・国民の油断
新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
- 作者: 西尾幹二,八木秀次
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2005/01/12
- メディア: 単行本
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「男女共同参画」の美名のもとにいかに異常な事が行われているかがこれでもかと書かれている。
性教育をきちんと教えることで危険な病気を防いだり避妊が進められたりと思えば逆に余計な好奇心を煽り、性が乱れていくというのは同意。社会のせいというのは簡単だけど、一番影響を受けるのはやはり学校の教育なのだから、それを無視するわけにはいかない。
というより実際の教材を見ておかしいと思わない大人が異常なのだけど、報道されることもなければ学校に子どもを通わせている親でさえ知らないうちに事態が進行している危険はそら恐ろしくなるものがある。
平たく言えば田嶋陽子的な主張が堂々と教科書に載って小学生から教育されているって事。ヤバイだろ。
男女の生理的な違いを無視して都合のいいことばかり言うフェミニストは女性からも嫌われると思うのだけど、権威や言葉の言い換えでそういう教育がこっそり進んでいるというわけだ。
決論的には左翼叩きになっていくのだけど、そういわれると納得する部分が多いのは自分が古くさい考え方をしているせいじゃないはず。
今の日本を古代ローマになぞらえて、『マイノリティを無理矢理マジョリティであるかのように教育するのは見せ物小屋に等しいと』いうのは西尾先生らしい暴論。ていうか西尾先生は口が悪くてワキが甘い印象。もうちょっと抑えないと弁の立つ論者に勝てないよ。
たとえ自分は真っ当だよと思っていても、もうすでにおかしい教育をされていたら全然それに気がつかないのが一番の問題なんだよな。
ジェンダー感ということで言えば、映画版の麻雀放浪記でドサ健が借金のカタに女を取られて、助けに行かない言い訳の
「こいつは俺の女だ!死んだおふくろとこいつにはどんなに迷惑をかけてもいいんだよ!」
と偉そうに言うセリフがカッコ悪くて好き。そういうもんだよね。