テヅカ・イズ・デッド
![テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41KMYH40BWL._SL160_.jpg)
- 作者: 伊藤剛
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2005/09/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 9人 クリック: 175回
- この商品を含むブログ (314件) を見る
著者は今までのマンガ評論が全て手塚治虫を起源として語っているせいで行き詰まったり誤っていたりする、と主張しており、タイトルどおりに手塚治虫だけに拠らないマンガ論を書こうとしている。
マンガが面白くなくなった、と書きつつもヒット作は出ている状況を指摘*1したり、マンガ制作の構造を立体図で表現したりというのはなかなかユニーク。
ただマンガを『キャラ』や『コマ構造』で語ろうとするのは違和感がある。
ササキバラ・ゴウ(ゴウつながり?)氏の言うとおり、ぶっちゃけマンガを文法で語ろうとしても、無理なんじゃないかという気がする。(唐沢俊一もこの本の感想でそんなことを書いていたな)
「まんが」ということばの意味を説明しようとする行為は、現実のありさまを認識し、記述する行為としては有効ですが、その結果得られた認識や記述を一般化したり、普遍化したりすることは、きわめて危険です。一般化したり普遍化したりできるという考え方自体が、そもそもその人の信念にすぎません。
小うるさい屁理屈に聞こえるかもしれませんが、このことに十分敏感でないと、「まんが」をきちんと考えることができません。うっかりすると、まんがの構造を細かく分析した結果、「まんが文法」などという不用意なものを構築してしまう結果になってしまいます。
まんがに文法を読み取ろうとすることは有意義ですが、それは「読み取る」という行為にとどまるかぎりにおいてであって、それを一般化して「まんが文法」として提示することは、全く別の問題です。
それは、「まんが論」の罠です。
http://homepage3.nifty.com/sasakibara/comic/comic06.htm
とはいえタイトル分の仕事はしていると思うのでそこはオッケー。あとがきで取りこぼした、と書いているジャンルはいつかフォローされるのだろうか。
昔からのマンガファンが議論のネタにするにはいい本かも。
*1:最近の〜は面白くない、というのは下手をするとあなたが古いだけですよ、ということになりがちだよね
キャット・ミラクル
![キャット・ミラクル キャット・ミラクル](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/511DHXNF23L._SL160_.jpg)
- 作者: ブラッドシュタイガー,シェリー・ハンセンシュタイガー,Brad Steiger,Sherry Hansen Steiger,武者圭子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/03
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
1000キロ引き離されてもちゃんと家に帰ってくる猫の話など、にわかには信じがたいものもあるけど、ないとも言い切れないのが動物の不思議なところですな。
果たしてうちのにゃんこさんは俺が寝てる間に家が火事になったとき、ちゃんと起こしてくれるのだろーか。
猫好きにはオススメ。
![f:id:kasindou:20060611123950j:image f:id:kasindou:20060611123950j:image](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kasindou/20060611/20060611123950.jpg)
ああっ!まだ読んでない新聞がボロボロに!
女性はみんな女神サマ
![女性はみんな女神サマ (双葉文庫) 女性はみんな女神サマ (双葉文庫)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41C18D6B3ZL._SL160_.jpg)
- 作者: 睦月影郎
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2005/09
- メディア: 文庫
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
女性を「母」と「娼婦」に分けて考えてたのは三島由紀夫だったか。睦月先生は家族として近くなると性欲を持てなくなる、と書いててそれはそれで正しい。言い方はアレだけど愛の形が変わってくるっていうやつですな。
睦月先生は母親としての女性を求めているのではないのがカッコイイ。男性に関する考え方は基本的に頑固オヤジ的なんだけど、不倫は全然オッケーなのが素敵。旦那さんより愛しますよーみたいな感じか。
睦月影朗先生の論は電波男本田透とは正反対で、これはこれで痛快。ちょっと対談させてみたい。
「35だろうと40だろうと、彼女ひとり作れねえ奴はみんなガキなんだよおおおおっ!」
私の考えは、こうである。青春とは、年齢に即した時期を言うのではない。必ず通らねばならぬ義務なのである。
(略)
「とにかく、女性の良さも分からん奴が、女性を悪く言うものではない!」
ただ本田氏の求める女性は「女」じゃなくて「母(家族)」だと思うんだよね。*1
オタクの女性の好みが「母」型だというのは、それこそ本田氏の先輩が指摘してて、この論には自分も大変納得してたりする。
「純愛系」のヒロインは結局のところ、最後に結ばれる主人公と本質的に同一のものであり、たとえ申し訳程度に絡みが描かれようと、それは「男女のまぐわい」ではない。強いていうなら、男性キャラクターによる、女性キャラクターへの胎内回帰を、ごくありふれた形に表現しなおしたものに過ぎないのではないか、と思う。
結局、違うのだ。
その手の人が求めているのは、完璧な姿になって性さえ超越した「あるべき自分」の再生であり、異性や他人との出会いではない。「女房」と呼ばれる、墓穴の中まで付き合うことになる、自分とは別の存在、というものとは限りなく遠いものでしかない。
http://masa-1.air-nifty.com/mono/2005/week20/index.html
自分でエロゲー書いてみてほんとにそうだなーと思った次第。
以前からここのブログの『オタクの好む女性』論には膝をポンポン叩きまくりだったりして。『萌え』って昔から父性愛だと思っていたんだよ!
本と全然関係ない話になったな。