テヅカ・イズ・デッド

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

マンガ評論の方法論について書かれた本。
著者は今までのマンガ評論が全て手塚治虫を起源として語っているせいで行き詰まったり誤っていたりする、と主張しており、タイトルどおりに手塚治虫だけに拠らないマンガ論を書こうとしている。
マンガが面白くなくなった、と書きつつもヒット作は出ている状況を指摘*1したり、マンガ制作の構造を立体図で表現したりというのはなかなかユニーク。
ただマンガを『キャラ』や『コマ構造』で語ろうとするのは違和感がある。

ササキバラ・ゴウ(ゴウつながり?)氏の言うとおり、ぶっちゃけマンガを文法で語ろうとしても、無理なんじゃないかという気がする。(唐沢俊一もこの本の感想でそんなことを書いていたな)

 「まんが」ということばの意味を説明しようとする行為は、現実のありさまを認識し、記述する行為としては有効ですが、その結果得られた認識や記述を一般化したり、普遍化したりすることは、きわめて危険です。一般化したり普遍化したりできるという考え方自体が、そもそもその人の信念にすぎません。
 小うるさい屁理屈に聞こえるかもしれませんが、このことに十分敏感でないと、「まんが」をきちんと考えることができません。うっかりすると、まんがの構造を細かく分析した結果、「まんが文法」などという不用意なものを構築してしまう結果になってしまいます。
 まんがに文法を読み取ろうとすることは有意義ですが、それは「読み取る」という行為にとどまるかぎりにおいてであって、それを一般化して「まんが文法」として提示することは、全く別の問題です。
 それは、「まんが論」の罠です。

http://homepage3.nifty.com/sasakibara/comic/comic06.htm

とはいえタイトル分の仕事はしていると思うのでそこはオッケー。あとがきで取りこぼした、と書いているジャンルはいつかフォローされるのだろうか。
昔からのマンガファンが議論のネタにするにはいい本かも。

*1:最近の〜は面白くない、というのは下手をするとあなたが古いだけですよ、ということになりがちだよね