宮崎勤 死刑執行

「クソ野郎どもはハラワタぶちまけて死ね!」っちゅーことで死刑については特に文句もないです。裁判長過ぎ。考えてみれば高校生のときの事件だしなあ。心理学科に入るきっかけといえばきっかけではあるけど。


ところで「オタク女子研究」の参考文献に挙がってたコミュニケーション不全症候群 (ちくま文庫)(1991年刊)を最近読んだのだけど、宮崎事件に関して、著者の中島梓が宮崎をコミュニケーション不全のおタクと断じ、現代病の極端な症例として挙げてて、あああの当時はそういうのがオタクの社会的な立場&分析だったんだなあとなんだか懐かしくなってしまった。若い人にはわかるまい。
同じ宮崎事件を通じて岡田斗司夫はオタクの地位向上を考えたわけで、あの事件を他者として考えず、自分の問題として考えていたらコミュニケーション不全云々とはとても書けないわな。まあ岡田版のオタクと中島版のおタクの定義がそもそも違ってるといえば違ってるのだが。


こないだの秋葉原の事件だって、オタク大陸がまだあるのなら宮崎事件と同じくらいのインパクトがありそうなものだけど、オタクの立場から擁護しようとか理解してやろうというという人が皆無なのは、やはりオタク共同体が解体されたってことなのだろう。粗雑な模倣犯はたくさん出てきてしまったけど。無差別テロほど共感の得られないものはないってなぜわからんのか。わからんからアホなのか。ブラック派遣撲滅を主張するまともな(?)テロリストだったら世論が支持すると思うのだがなあ。(マスコミの支持は無理だけど)
今年のコミケには、「ここには50万人の加藤がいます」とかレポされるのかしらん。


こんな世の中で俺たちが犯罪を犯さないでいられるのは、心の中に音楽があるからなんだぜ!*1

*1:井上敏樹は詩人だ!