DEATH NOTE 最終回

原作と違ってリリカルな月の死にざま。
このへんはやはり井上敏樹のセンスなのだろうか?理想に燃え、理想に散った男の最期として。好敵手と戦い、一度は勝ち、しかし敗れた男の死にざまとして、原作とはまるで違う表現をアニメ版では観せている。このへんは作り手の思い入れの差になってしまうのだろうか?原作のドライさのほうが良かったという人もいるけど、これはこれでありだと思う。


ところでキラが現実にいたとして、犯罪や戦争が減るかといえばそうではないだろうし。本当に悪いやつは顔など見せないだろうし、その時点でキラよりも勝っているのだから(本編ではそのへんのことはスポイルされているか、Lが利用しているという描写に使われているにすぎない)、月が神でいいのか?というあたりは、観ている人は考えないといけない部分ではある。
こう考えるのも「権力はいずれ腐敗する」がDEATH NOTEのテーマであると喝破した岡田斗司夫の説*1を読んでいたからで、これに気づいていた岡田はさすがと思う。果たして大場つぐみはそのつもりで書いていたのだろうか?という気はするけど。原作は、少年マンガのルールとして、殺人者は無様に死なざるをえなかったのではないだろうか?
これも「ぼくらの」と同じく間違い探しみたいになりそうだけど、アニメはアニメとして楽しんだんだからそれでいいんじゃないかな。荒木哲郎の代表作になったと思うし、もうGAの人というくくりでは見られなくなってしまうんだろうなー。