原著に当たらないと簡単に釣られちゃう

「ボランティアは自発的」谷垣氏、安倍氏の「義務」批判
http://www.asahi.com/politics/update/0802/006.html
kagamiさんがボランティアの義務化についてやたら嘆いてた*1ので安倍氏の著書「美しい国へ (文春新書)」を実際に読んでみたところこうなっていたよ。

 かつては過程と地域社会が子どもたちのモラルを醸成する役割を果たしていた。人と人との助け合いをとおして、道徳を学び、健全な地域社会が構成されてきたのである。
 そこで考えられるのが、若者たちにボランティアを通して、人と人とのつながりの大切さを学んでもらう方法だ。人間は一人では生きていけないのだ、ということを知るうえで、また、自分が他人の役に立てる存在だったということを発見するうえでも、ボランティアは貴重な体験になる。
 たとえば、大学入試の条件として、一定のボランティア活動を義務づける方法が考えられる。大学の入試を原則9月にあらため、高校卒業後、大学の合格発表があったら、それから3カ月間をその活動にあてるのである。
 ボランティアの義務づけというと、自発的にやるからボランティアなのであって、強制するのは意味がないとか、やる気のない若者がやってきても現場が迷惑する、というような批判がかならず出る。しかし、みんなが助け合いながら共生する社会をつくりあげるためには、たとえ最初は強制であっても、まず若者にそうした機会を与えることに大きな意味があるのではないか

7章 教育の再生 学力回復より時間がかかるモラルの回復

ここで言われてるボランティアとはあくまでも教育の文脈で語られているのであって、ボランティアを強制労働としてとらえているわけではないですね。安倍氏の言葉の使い方の甘さはあるものの、またアサヒコムめにしてやられたわい!といったところか。
2ちゃんねらーも簡単につられすぎじゃなかろーか。(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/753742.html


「ボランティア」を「教育(漢字書き取りでも九九の暗唱でも)」と読み替えてみると、谷垣氏の批判はちょっとヘンになる。

安倍官房長官が提唱している若者への教育義務付けについて「教育は内発性、自発性に基づかないと教育効果が十分に上がらないと思う」と批判した。

やれって言われなきゃ誰も勉強しないのは残念ながら当たり前ですねー。谷垣氏も批判だけで具体的な方法は何も言ってないし。「内発性、自発性に基づかないと教育効果が十分に上がらないと思う」って何に対しても言えるぞ。
心を何で養うのか?というのはそれこそ人によってまるで違うだろうし、例えあなたが何を言っても気に入らない人はいるだろう。


夏休みに廃品回収したりとか、老人ホームに行ってみたりとかなんて自分からやったり行ったりするやつはめったにいないと思う。とりあえず経験させるってのは大事だと思うし、それが教育じゃないかな。ゆとり教育のなかでも方向性が定まらない「体験学習」よりもよっぽど意味があるだろう。
自分が小学校の頃は「道徳」の時間も「勤労」の時間もあったけど、最近はないのかな?