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lotustea さん
ご指摘ありがとうございます。なるほどそう言われればそのとおりですね!
最近スコープを使ってないのがオカシイという意見もありますが、別に必要なければ使わないのは当然ですし、使ってないからオカシイ・設定無視というのはまるで的外れですね。
ワームに関してはまだ説明不足かもしれませんが、どうも余所の意見を読むと解答が与えられなことにモヤモヤしてる人って多いんだろうなあと思います。ぶっちゃけそれって、白倉Pに今年もまんまと釣られてるだけだなーと思ったりして。すぐに解答は与えられるものorなんにでも解答は存在するもの、という考えは、やっぱり教育の影響なんでしょうかね。
それにしてもlotasteaさんの分析はいつも鋭いし面白いですね。評論は単なる作品に付随する文ではなく、独立した一つの作品だということを実感します。


korohiti さん
後藤氏は別にアンチというわけじゃないと思うのですが、口調が強いので誤解されるのも仕方がないのかもしれません。僕も別に個人を糾弾しようと思って書いたわけじゃないし。


アンチに関しては明かされてない謎にしろ、あざとい引きにしろ結局観るんだから、毎週白倉Pに楽しく釣られてると思えば別に腹を立てるようなことでもないような気がしますね(ひでえ)。それこそ「いいんだよ。そういうのが面白いんだからさ」。っていうか、観てる側の客観的な視点の問題?そのへん自覚があってやってる人は良いけど、本気で釣られてる人はちょっとイタイなあと思います。


天道の七変化は楽しいのでアリですね。ていうか今年はそういうノリ・作風なんだから、それについていけないなら『なんで観てるの?』って言われても仕方ないと思いますし、それを変えたらカブトじゃない、ということになることは批判派の人たちは判ってるかなあ。個人的にカブトは旗本退屈男ライダーっていうのがなんか気に入ってたりします。痛快娯楽特撮劇という感じでしょうか。


SHIKAIKILYOU さん
同意です。要らない設定はどんどん無視するのは僕も当たり前だと思いますね。それで煩雑になることはあっても、良くなるとは思えない。キン肉マンのニンニク巨大化や、002の加速装置も一緒ですね。


後藤氏はタキオン粒子は光速を越える粒子だから発射された瞬間に到達(これもおかしいのですが)、という解釈をしているのですが、カブトの設定に使われてるタキオンに関しては、ガンダムにおけるミノフスキー粒子と一緒の万能ガジェットに過ぎないと思います。別に劇中&設定のタキオンが超光速粒子だという説明もないですし。


タキオン粒子が全身を巡るとなぜ高速で動けるのか?タキオン粒子を噴射するとなぜ飛べるのか?タキオン粒子を武器としてぶつけるとダメージがあるのか?そもそもタキオン粒子って光るのか?見えるのか?とか。
そのへんの説明はまったくないのに、『タキオンは光速を越える粒子』というノンフィクションだけを無条件に取り出して議論を進めるから話がおかしくなる。光を越えるものを光弾にして飛ばしたら光速を越えるはず、という点だけを言われても正直?でした。仮想のものに理屈をいくらくっつけても仮想の話にしかならないですね。設定を作ってる人(白倉P?)はそれを利用しているわけで。
こっちはインチキと判ってて健康サンダルに入ってるタキオンの話をネタにフィクションの話をしてるのに、あれは光速を越えてないからインチキなんだよ!と主張されてもなあといったところでしょうか。


a さん
シャドウの面々の前で変身を解いているのですが、そこでは天道は後ろ姿だけで顔は見せていないので天道=カブトとは気づいていないのです。声やシャベリがあるから気づいていないとおかしいだろ、というのが後藤氏の主張ですね。


ぶっちゃけドラマの登場人物は、子供番組に限らず視聴者サマよりバカなのが普通です。視聴者よりも明らかに頭のいい奴だらけのドラマなんて人気出ませんよ*1。バカじゃなくていいのは視聴者の分身たる主人公とヒロインくらいのものです。そういうのが製作者が意図的に作るスキというやつですね。
なのでテレビに出てる奴はバカばっかだな!と本気になっている大人を見ると、なんでそんなアッタリメーのことを今更?と僕は思ってしまうんですね。
まあ普通のドラマでも分別のある大人ばかり出るドラマに人気は出ませんし、魅力もありません。分別のある大人が、頭では正しいと思っててもそれを外れたことをせざるを得ない、っていうところにドラマが生まれるわけです。


俺設定はまーチラシの裏みたいなもので。こういう設定を使うべきだ!なんてこと言ってるわけじゃなくて、こういう解釈ならなんとかなるんじゃね?ってだけのハナシです*2。ただこうして反応がもらえると嬉しいだけですね。
こんな感じでいろいろ解釈をこね回して遊ぶのが大人の観方だと思っています。いや子供の観方なのかな?
どっちにしろ自分の中で作品を噛み砕く行為をしないのって夢がないし、ドラマの面白さの半分も楽しめていないような気がします。何も考えずに脊髄反射的に思ったことをネットに書くのも(それは面白いツッコミでしょうか?)、自分の中だけで楽しみを完結させるのも、番組の中で解答を示されるのをぼーっと待ってるのもまったくつまらないですよ。
特撮に限らず自分の解釈をみんなに聞いてもらって、そこで共感されたり違う意見を出されたりするのは楽しいし、そういうのがファンの楽しみ・ネットの醍醐味だと思います。文句があるなら自分なりの解釈を考えるのが普通だし(グチ同盟ほど他人から見てカッコ悪いものはないです)、それをしなければ単に愚痴を言う相手もない寂しい人だと思われても仕方がない。aさんも僕の設定に違和感があるなら、自分なりの解釈を考えてみたり人に伝えてみたりすると楽しいと思いますよ。


oujarx さん
つきつめるとオカシイところがいっぱいあるのはフィクションなので当然なのですが、そこで自分なりの解釈をブログで書いて、それを人に読んでもらうのってやっぱり楽しいです。oujarxさんがブログを書いているのもそういうことだと思いますし。他人に聞かせるつもりのないもの、他人に批判されたくないものならカギのかかった日記帳に書けばいいことだし、そういうのはネットにあげる必要がないですしね。
解釈をいろいろやるのは、『面白い』という自分の感情を分析するのが楽しいからなのですが、それをブログに書いて他の人に伝わったり、他の人の解釈を読んで自分との違いを考えたりするのはエキサイティングで面白い体験だと思います。


話はちょっと変わりますが昔の特撮の鑑賞法で『薄目を開けて観る』、という言葉があります。クウガの作風のせいで、平成ライダーは大人の鑑賞にたえうる特撮!みたいな雰囲気ができたのは事実ですが、同時に大人が良いと思ってるものは子供もきっと判ってくれる、という勘違いも生まれたような気がしますね。
クウガが面白いのは、毎回いろんな怪人が出てきていろんなフォームのクウガと戦うところであって、これは昔ながらの『○○怪人の××作戦・ゲストライダー○○登場』っていうのと同じ。根本的に子供が喜ぶ要素であって、そこの部分を見ずにリアル描写ばかりを持ち上げるのはなんか違うように思うのです。


現実をそのまま映すことが素晴らしいことなのか?特撮ファンは現実がつまらないから特撮を観ているんじゃないのか?と思います。テレビの中のことが現実とそっくり同じものなんて面白くもなんともない*3ですし。業界では『くそリアル』という言葉があるそうですが、その意味を改めて考えてみると面白いかもしれません。



返信終了。

正直言って、私は今の仮面ライダーカブトが大嫌いだ。
日曜の朝8時半過ぎは必ず胃が痛くなるし、視聴を打ち切ろうと思った事だって何度もある。

だけど、上のコラムを読んでからは―
『ギリギリまで視聴を続けよう』
『そして、どうしても駄目になった時は、視聴を打ち切ろう』
『でも、視聴を打ち切るからには、本スレからもアンチスレからも足を洗おう。その位の覚悟を決めよう』
と、考えを改めた。

偉そうな言い方かも知れないが、ファンにせよアンチにせよ、その位の覚悟を持たないと、作品を語ってはいけないんじゃないかと思う。

http://tv7.2ch.net/test/read.cgi/sfx/1150207403/645
カブトアンチスレより。そりゃアンチスレ住人もヒくわ!
面白いツッコミってボケを否定することじゃないんですよね。つまりはそういうこと。

*1:たとえば昭和の名プロデューサー、平山亨氏の作品では間抜けな大人とそれをやり込める子供という構図がよく出てくるし、人気番組になっている

*2:#18の演出に関しては、単にドレイクがクロックアップの0.000001秒前だったんじゃね?てだけで片づきます

*3:ヒッチコックの、『毎日三度三度の食事を作り、夫や子供の世話に疲れてヘトヘトになってる主婦がいる。 そういう女性が久しぶりに家事から解放されて映画を観に来る。その時、スクリーンに 映されるのが食器を洗ってる疲れ果てた女の姿であってはならない」』という言葉が僕は好きです