「月刊岡田斗司夫」「プチクリ風雲録」

http://puticre.seesaa.net/category/1268070.html
一昨日のイベントで購入した同人誌を読了。内容はこんな感じ。

 ★「月刊岡田斗司夫 創刊号」コンテンツ
   岡田斗司夫mixi全日記
   岡田斗司夫 2/22吉祥寺トークライブ「聞くだけでプチクリになれる話」収録
   インタビュー 唐沢俊一「すべての人はプチクリになる」
   「マンガでわかるプチクリ!」

 ★「プチクリ風雲録」コンテンツ
 
   岡田斗司夫プチクリ日記」
   プチクリインタビュー 内田春菊
   「マンガでわかるプチクリ!」
   プチクリな人々 羽田卓生(ケータイ王)インタビュー

インタビューとマンガはともかく、トークライブのテープ起こしとmixi日記がとても素晴らしい。トークライブなんてプチクリ本編よりも面白いんじゃないだろーか。
日記のほうは日常の仕事のことをプチプチと書いている日の間に、ときどき綺羅星のようにハッとさせられる内容が挿みこまれててまったく油断ならねえ。というか長文の日記を巧く抜粋してまとめて評論集にしてほしいなあ。マジで。連載は読まず単行本だけ読む人、コメンテーターやイベント芸人としての岡田斗司夫を知らない人ってたくさんいると思うし。先月のオタク・イズ・デッドのブログについたコメントを読んでそう思ったのだけど、ぶっちゃけプチクリよりためになると思う。


ちなみに風雲録のほうに書いてある日記はプチクリ関係のもののみを抜粋したもので、月刊岡田斗司夫のほうは去年の1月から今年の3月までの内容。冬コミで出した同人誌(岡田斗司夫マンガ夜話日記。今までの日記が収録されてる)も読んでたりするので、もう読んだよっていうのもあるけど面白いからいいや。実際この日記が読みたくてこの本を買ったのです。



どちらもプチクリのプロモーション的な意味合いが大きい本だけど、プチクリが売れないのは、単にクリエイター信仰のある人が少ないんだから当たり前ってだけの話で、そういう意味ではタイトルが悪い、と言えないこともないと思う。


プチクリ』が訴えたいことは、夢を持ってがんばるのはいいけど、そればかりにとらわれて絶望するより、好き=才能なんだから、自分に自信を持ってみんなを楽しくしなさいってことなんだけど、そこで『クリエイター』って言葉を使ってしまうとかなり誤解・限定されてしまうんじゃないかと思うんだよね。
実際この本で書いてあることは何にでも応用が利くと思うんだけど、『クリエイター』という言葉にすると何かを形に残さない(たとえば会社を大きくするとか、友人の数を増やすとか)人にとっては関係ないと思われちゃう。もともとプロクリの呪いにとらわれた大阪芸大の学生の話から始まった本だからなのかなあ。


岡田氏は『クリエイター』(ここにはもちろん芸能人やスポーツ選手、学者も入る。要するに有名人?)はみんなが憧れるもの、何かを作り出して発表することはとにかく素晴らしいこと、という前提で話をしているけど、悲しいかなそういうふうに思っている人間って実はすごく少なくなってるんじゃないか。『作る人』と『作らない人』の断絶が大きいというのは同意するけど、普通の人はテレビの向こうのことは自分に関係ない単なるコミュニケーションツールに過ぎないと思ってるし、それで十分幸せと思ってるのではないか。
スゲー偏見だけど、いわゆる本を年に2、3冊しか買わない層の認識ってそんなもんなんじゃないの?


月刊岡田斗司夫のほうのインタビューで唐沢俊一氏が『岡田さんが一般向けに書かれた本ではあるんだけど、最初のその方向が間違っていたのかもしれない。今のプロクリたちに読ませて恐怖感をあおったほうが火がつくんじゃないか』と書いてて、実にそのとおりだと思う。ただ本をプロクリに向けて作る、というのは難しいだろうけど。


もしこの本が『プチクリエイター』ではなくて、もっと違う言葉だったらもうちょっといけたんじゃないかなあ(あと新書だったら売れたかも?と思ってたけど先日のイベントの感じだと難しそうですな)。『クリエイター』の代わりに入る言葉が何か、というのが決められないのが難しいところだけど。
それこそ前回のイベントで言ってたことじゃないけど、ほんとに誰にでもわかるようなタイトルじゃないとダメみたいな気がする。プチクリっていう語感はとってもイイんだけどね。



いまさらながらGUN道MUSASHIの音楽の人が監督とケンカした話とか書いてみる。