妖怪文藝〈巻之弐〉 響き交わす鬼 小学館文庫作者: 東雅夫出版社/メーカー: 小学館発売日: 2005/09/06メディア: 文庫この商品を含むブログ (16件) を見る

読まずに書くわけにもいかんのでさっそく買ってきました。新刊なので小さい本屋でも小学館文庫のところにいまならあるはず。


本自体は鬼が出てくる物語に関するアンソロジー。『響鬼』に関する表記は巻頭の加門七海・霧島ケイ両氏との対談と、ラストの編者解説の部分。

読めばわかるけど、『響鬼』の設定のユニークさに関する称賛の言葉ばかりで、明日夢やら作品のテーマについてはひとことも触れてなかったりして。
そういう点では、30話以降をオススメしない、という東氏の言葉は別に間違っていない。ただ、それって「信者」じゃん!と言われるだけの話。

響鬼』は管見によるかぎり近年の特撮番組としては出色の水準に達しており、右に加えてSFXや音楽、キャラクター・デザインや大道具小道具の類、さらにはロケーションにまで及ぶ作品世界の隅々から、“和”のテイストを重視する作り手側の周到な目配りと卓抜なアイディア、挑戦精神と遊び心、「鍛えてます」と「お疲れさん」という合言葉に象徴されるアルチザン志向とも称すべき明快なメッセージ、そしてなによりも作品に注がれるスタッフの愛情のほどが如実に伝わってきて、回を追うごとに入れ揚げ、のめりこむ仕儀とあいなった。

「響き交わす鬼」編者解説より。

かん‐けん〔クワン‐〕【管見

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《細い管(くだ)を通して見る意》

1 狭い見識。視野の狭い考え方。「―にとらわれる」
2 自分の知識・見解・意見をへりくだっていう語。

大辞泉より


文章を読むと作品に対する筆者の愛情が伝わってくるけれど、けれど。
巻頭の対談部分でもそうだけど、自分の好きなジャンル(鬼・妖怪)がモチーフになった作品なら、ひいき目になるのはしょうがないのかなあ。お気に入りの役者が出てるから観る、というのに近いのかもしれない。
一度その作品をひいき目でみてしまうと、他のアラがなんでも良く見えちゃう(またはアラを見なくなっちゃう)、というのはあるわけで。


そういうスタンスで『響鬼』を観てた鬼の専門家が「30話以降は〜」なんて発言すれば、白倉PDに格好のネタにされても当たり前じゃないの。


言うなればブログの白倉発言の“印象批評”最右翼にいるのが東氏なわけで、その人に「批判を乞いたい」って書いちゃう白倉PDの面の皮の厚さに感心しきり。ほんとにやり手だなあ。


響鬼』のユニークさは特筆すべきだし、それをほめるのはかまわない。けれど編集者なら作品をもっとクールに観てもいいんじゃない?
作品を送り出す側が、番組を普通に観ててもわからない武士の設定の細かさに感心している場合じゃないでしょうに。


なんてつらつら書いてきたけど、実は東編集長と白倉PDが仕組んだ壮大な釣りだったらすげえなあ。ガクガクブルブル!