岡田斗司夫のひとり夜話 第3回

なにげに毎回聞きに行っているイベント。
今回のお題は「恋愛の経済学」と「人生の意味」。
なんとも大仰だが、今回はお話に個人的にかなり違和感を感じた。


まず一つ目の「恋愛の経済学」。これは最近の婚活詐欺殺人事件を話のマクラに、30代以降の独身男性の資産価値を見積もったり(一人あたま3300万円らしい)、従来の家族形態にとらわれない形の、男性が女性を養っていく新しい家族形態についての提案。
二つ目の「人生の意味」は、人間を情報のノードと見做し、個々人がメディアとして活動することが人生の意味だという。
どちらも岡田氏らしい切り口で、面白いといえば面白かったのだが、自分がここ数年来考えていたこととネタがかぶっていたこともあり、今回は聞いていて全然腑に落ちなかった。


なにが違ったのか?僕は人生の意味はわからないが、生物がなぜ生きていかは「繁殖のため」だと思っている。それは動物も人間も同じであり、繁殖に関わることが快楽につながるようにできている。ひとり夜話はロジカルエンタテイメントを謳っているが、今夜の話に関しては行動心理学・社会生物学のほうが、なんでもかんでもロジカルに説明ができてしまうのだ。


まず大前提として、「生物は自分の遺伝子を最大限に増やすために行動している」。
なぜオスがいろんなメスとみさかいなく交尾したがるのか、メスの頭脳より見た目を重視するのか。それが自分の子孫を増やすために有効だから。対してメスが多くのオスを望まないのは、多くのオスと交尾しても子孫がそれで増えるわけではないから。メスは確実に自分の遺伝子を残すことを重視する。つまり自分と自分の子供に資産や時間(つまり愛情)のリソースを注いでくれるオス、または優秀な遺伝子を提供してくれるオスを好む。
これがいわゆる男らしさ、女らしさにつながっている。こういう話してもあまりいい顔されない(特に女性には)のだが、実際のところ男女の本質はこれで間違ってないと思う。
別にエロゲーの影響とかじゃないんだからねっ!
http://concept.product.co.jp/


さてこの理屈で言うと、岡田氏の第一の提案、「恋愛の経済学」でお金がある程度ある男性が複数の女性を子供のように養っていく、という家族のスタイルはかなり難しい。というのは、男性は自分のパートナーである女性が他人の男の子供を孕む可能性に対しては全く不寛容だから(自分の遺伝子が増えないから)だ。それに女性からすれば、自分に注がれる資産のリソースが他の女に割かれることを許すことができない。岡田氏は一つ目のお題のあと、楽屋で女性から「3300万では足りない」と言われたそうだがもっともな話。


二つ目、「人生の意味」が情報(ミーム)の伝達である、というのも、間違いではないけど、人間が生物である以上、やはりミームより遺伝子(ジーン)の伝達が優先されるものだと思う。
なぜ人は自分の命より、子供の命を優先したり他の宗教や大儀などの観念のために命を捨てられるのか、といえば、それも人類の上位存在(情報や宗教など)に操られているからというのでなく、自分の遺伝子を最大限にするため、という説明ができる。
自分の子供は自分の遺伝子そのものだし、宗教戦争などは自分の遺伝子を安全に生かすための環境を守る戦いと言える。
岡田氏の主張では戦争で人類の死亡数が減ったのは、人類の上位存在が自分たちの寄生する人間を減らすより、人間たちの中にある情報のシェアを取り合う方向に向かったせい、というのだが、これもうなずけない話。単に人口を養える食料が増えただけの話のような気がする。


結局岡田氏の主張は、すでに生物の、遺伝子を伝えるという使命が完了(子供がいて、その成長に満足している)しており、知的活動がそのまま生命活動に繋がる職業についている男性からこそ言えるのではないか。
そうでない大半の人(女性や、特にカネのない独身男性)には実感のないハナシだと思う。
今回の話には岸田秀の「恋愛幻想論」の話も出てきており、僕も以前に読んでいたのだが、「人間の本能は壊れている」という岸田論に違和感を感じたのは同じなのに、全然違う結論が出てきているのはちょっと面白かったが。(個人的には、本能が壊れているというより進化しすぎて本能にウソをつけるようになったのだと思う)


この人間の行動がいかに繁殖に結びついているか、という話や、それにまつわる男女の違い、現在に至るまでの生物の進化の話など、すごく面白いので興味のある人は読んでみてほしい。
それこそ人生がロジカルにクリアになっていく感覚が楽しめると思う。(それで幸せになれるかどうかはわからないケド)