オタクはすでに死んでいる

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

先月の「遺言」イベントで自殺の話が出てたけど、この本を読み返すとちゃんと締めの言葉として、

老後の不安なく健康で長生きでグルメで、ってばっかり考えるのは、果たして『生きてる』って言えるの?

と書いてあったりして。自殺の話はこの延長で出てきたのだなあ。
凡人にとってはこれが「生きてる意味」になりかねないし、それが幼稚だと言われたら返す言葉もない。岡田氏がカッコいいのは、「この世界の不幸や苦痛の0.3%ぐらいを軽減する」という目標を持って生きているところだな。


さて本文。
内容に関しては2年前のイベントを収録した同人誌版と比べて、オタクの死が「オタク民族意識の死」のことであるというところが強調されてて、誤読されにくくなっていると感じた。ここのとこの誤読が以前大騒ぎになったわけだけど、(おまえが言うな!と言われるとごめんなさいというしかないですが)これだけ丁寧に書いてある今回の新書版を読んでも2年前と同じように騒ぐ人はいるわけで。岡田氏におっちょこちょい呼ばわりされても仕方がないかも。
そのへんの議論は2年前にやったからもういいやー。


オタクイズデッドのイベントから2年経った今読んだ感想としては、オタク民族の死というよりも、本文にあるように「オタクが女性化した」というのをより実感する。つまりコミュニケーションの変化だ。
そもそも男オタクのコミュニケーションと女オタクのコミュニケーションはその目的が違っている。男はコミュニケーションに結果を求めようとするけど、女はコミュニケーション自体が目的であり、結果は要らないのだ。


いつぞやのオタク大賞唐沢俊一氏が「昔のオタクは情報を求めてコミュニケーションしていた」とちょろっと言ってたけど、これはわりと当たってると思う。情報が他で手に入るなら、コミュニケーションのありかたが変化するのは当然と言える。


コミュニケーションの変化の話は、こないだのイベントのとき名前が出ていた東浩紀先生の「ゲーム的リアリズムの誕生」でも書かれている。

よく知られるように、2ちゃんねるでは多くのユーザーが、情報を交換するのではなく、だれかと繋がりたいがために、すなわちコミュニケーションそのもののために投稿を繰り返している。(中略)
2ちゃんねるやSNSを前にしたユーザーは、自分の行為(書き込み)に対してだれかが反応を返してくれる、その喜びだけで十分に満足してしまう。

(もともとの引用元は北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』)
「コミュニケーションのためのコミュニケーション」は、女性化と言って良いのではないか。男オタクは、自分でも知らぬ間に女性化している。
改めてオタクを語ろうと思うと、このへんに自覚的な人と、自覚がない人では全然話が違ってくるんじゃなかろーか。(「ゲーム的〜」の参考文献に、「オタクイズデッド(同人誌版)はちゃんと入ってたりする)
岡田氏が書いてるのはオタク大陸の話であり、コミュニケーションのありかたの話であって、それを置いといて、「オタクは○○である」という定義の話をしても、見当違いになるのは当然だ。


こんな感じで「オタクが女性化している」と書いているのに、新書版の論争を見た感想で「オタクがまだ死んでないというならそいつがオタクのオピニオンリーダーになればいい」と言っちゃうのはイジワルな話だなあ。「女性オタクは差異を気にして誰もオピニオンリーダーにはなれない」ってちゃんと書いておいたうえで言ってるんだから。


あとこの新書版を読んで、やっと気がついたことがひとつ。
あとがきで、

もう二度と、あんな強い絆で結ばれた仲間を得ることはないのだろう。
それを考えると、身を切られるように辛い。

と書いてある。この言葉は、イベントやテレビでしゃべるときでも著作でもほとんどウェットなところを見せない岡田氏が、心のうちを見せた数少ない部分だと思うのだ。


技術の発達でコミュニケーションが容易になったことや、少人数でクオリティの高い作品が作れるようになったこと、オタク活動が一般的に認知されたこと、これらは全て、オタク活動のために大人数と濃い関係を作ったり、仲間同士で強い連帯を結ぶ必要がなくなったということだ。集まること自体が目的のオフ会に出ようと、イベントでオタ芸を披露しようと、ニコニコ動画に作品を上げようと、目的のある「強い絆」が今のオタク活動で生まれるはずもない。
今のオタクはもちろんのこと、古いオタクでもこういう体験を持たないできた人にとって、岡田氏の主張が実感できないのは当然だ。
岡田氏のいうオタクとは、個人の有り様ではなく「絆」そのものだなんて思いもしないのだから。


岡田氏はオタクイズデッドのイベントで終盤声を詰まらせていた理由を、他のイベントの質疑応答コーナーで聞かれたとき、「みんなが可哀そうだと思って」と答えていた。
やっとわかった気がするよ。