だが、心配のしすぎではないか

空しき世間 −他人指向型の勝利−
http://d.hatena.ne.jp/kagami/20060807#p2
を読んで。


こういうのは最近だけの現象なのか?というとそうでもないような気がする。ぶっちゃけ今名作として残っている古典の数々は、本当に名作なのか?それは発表された当時に、それを認めたやり手の評論家がいただけじゃないのか?
というのも、大衆に流布し、ボロボロになるまで読まれ、消費・散逸した作品(いわゆる散逸文学)がコンテンツとして優れていないとは言い切れないし、それにいわゆる「良い」作品は99%の土台(クズ)の上に成り立っているのだし。
切込隊長のブログではデビルマンが例に挙げられているけど、MUSASHIハルヒより売れるということにはならんだろうから、いくらライトユーザーでもそこまで話題性だけに釣られんでしょう。


あとゲド戦記が宣伝戦略で売れているのは認めるけど、過去の宮崎駿作品が現代において『消費』されているという点は変わらないと思う。ついでに言えば宮崎作品は、もう『キャラクター』商品化している。


こないだ紹介した「映画の構造分析」にもあるとおり、映画は一人で作れる芸術作品ではなく、同時に大衆娯楽なのだから、コンテンツでお祭り的に盛り上がるのは別に悪いことじゃないと思うんだよね。人間は作品そのものよりも作品をめぐって考えたり話し合ったりするのが楽しいんだから。


個人的には受け手のコンテンツの良し悪しをセレクトする能力が落ちているのか、といえばそうでもなく、単に供給過剰なだけだと思う。
たとえばラノベにしても一月に100冊以上も*1刊行されて、その良し悪しを読む前に賢く見分けられる消費者が何人いるというのか?週に80本を越えるアニメを全部観て、購入するDVDを決めるオタクに働くヒマがあるのか?
そこまで来ると、たかが娯楽なんだから、有名な評論家やブロガー、CM業者の言うことに釣られてもそんなに悪いか?と逆に思っちゃったりするんだよなあ。
受け手が堕落したのではなく、送り手が変質し、それに対応しただけなんじゃね?という結論。


送り手側の問題と言えば、映画で言えば有名な映画評論家が大衆を釣りまくり儲ける一方で、タダでブログに感想を書く人は山のようにいる*2わけで。切込隊長もWeb2.0になっても結局格差がひどくなるだけなんじゃね?と以前に書いてるんだから、今回もわかって書いてるんだろーなという気がするよ。
でも商売人が戦わなくちゃ生き残れないっつーのはいかんともしがたいなあ。単に映画やアニメなんかの業界はパイが少なくて見えやすいってだけの話かもしれんけど。
つまりは景気回復してるってことなんだろね。と投げやりにオチ。

*1:ラノベじゃなくとも日本は出版物なら「1日」に200種類以上刊行される国だ

*2:ちなみに映画ライターの映画ガチンコ兄弟の天野氏のほうは映画評論だけでは食えなくて肉体労働をしているそうである