仮面ライダーカブト

ガタック前振り編。名前クワガタでもいいと思うんだけどナ。
加賀美を変身せざるを得ない状況に追い込むだけの話なので、おぼっちゃまくんの誕生日話がいいアクセントになっている。果たしてじいやの謎とは!?単に映画の撮影スケジュールの関係もあるのかもしれんけどさ。
加賀美がやたら疲れた顔なのはやっぱり映画と同時進行だからなんだろーか。
来週は満を持してガタック登場。重症の加賀美が変身するのはオカシイってどうでもいいクレームが来そうな予感!



ところで後藤氏とのメールのやりとりは一応終了。
非公開に、ということなので一昨日のコメント返信でだいたいの内容を想像してください。面白くはあったけど結局すれ違ったままでした。
『1年シリーズのドラマにパズルめいた計算や整合性が必要か?』と書いて、『1クール未満の番組でもやるべき事はちゃんとやってる作品は沢山ありますよ』と返されたら議論が成立しないです。
そもそも仮面ライダーって初代からライブ感あふれる作品なんだけどね。



氏のスタンスはこれを読んでくれと紹介されたのだけど。
「嫌なら見なければいいじゃん」
http://type-98.lix.jp/area_01/topics/2005_1/145_hanron.htm

だったらオープンにしたほうが議論としてアリだと個人的には思う。いろんな人の意見を聞けることがネットの存在意義だし、自分の意見に絶対的な自信なんてないしね。単にブログとメール両方書くと大変というハナシですが。


あと作品を評価・評論する際に個人的な趣向や脳内補完を入れない、というのは絶対無理。
そもそもその作品を観る、と選択した時点で作為は入るものだし、作為のない視聴率や玩具の売り上げといったデータだけを基準にしても評論など成立しようもないだろう。
自身で気づいているかどうかはわからないのですが、後藤氏の主張する
「ZECTスコープはいつでも誰にでも使えるはず」「影山は優秀だから天道の正体に気づくはず」「劇中のタキオンは超光速粒子のはず」
というのも劇中で語られていない以上は脳内補完でしかない。


相手を同じ土俵にあげれば別のものが見えてくるにしても、相手が同じ目線に立ってるなんてどこで決めるのか。同じ視点になったように見えてもそれは単なる馴れ合いじゃないのか。作品に対して議論する人間同士が完全に同じ情報を共有することは出来ないし、他人の人生が絶対に自分の人生と同じにはならない以上、お互いが完全にフラットな観方なんてのは絶対に存在するはずないと思うのです。
違うからこそ他人と話すことに意味があるわけですね。


そのへんから根本的に考え方が違っているのかもしれんですね。
どっちのスタンスがご自分に近いかは読者のみなさまの判断にお任せします。