脳内補完

http://type-98.lix.jp/area_01/topics/2005_11_12/188_brain.htm

 要するに、その作品によって「欠けている部分が気になるか、ならないか」、気になるレベルが異なるわけだ。
 戦隊で許せた事がライダーで許せず、勇者シリーズで容認できたものがトランスフォーマーでは不可能だったり。
 あるいは、それとは逆だったり。
 そんな土壌から、「欠けている部分を想像する余地」が生まれる。
 そして、その方向を見誤った結果が、「脳内補完」だという事なのだ。

 もう一つ、自分が盲目的に思い入れてしまった作品を擁護するために、無理矢理な意見をでっち上げるのも、「脳内補完」の一種だ。

 どんなものでも、肯定派が居れば否定派も居る。
 だが、中には自分の意見を押し通す事しか見えておらず、相反する意見を駆逐してしまわんが如くに、猛烈な反論を展開する人が居る。
 その勢いは、問題の多い作品に思い入れてしまうほど、過熱する。
(略)
 作品を楽しむ事と、作品を批評する事は違う。
 だが、最近はその区別がつかない人が、大変多くなった。
 「自分が作品を楽しんでいる基準」を、「自分が下した評価」として述べてはいけない。
 掲示板などに意見を書き込み、誰かと評論・議論するのであれば、これらをきちんと見分け、区分して伝えなくてはならない。
 もちろん、好きな作品について感想を述べ合ったり、自分の燃えや萌えを語るための場というのもある。
 そして、そういう場に議論を持ち込んでも意味はない。
 そもそも、住み分けが異なるのだから。
 これを踏まえないで、「議論」と「感想」が激突すると、お互いの持論を覆させないために、何かしらの「捏造」が行われる事があり、論議を続ける毎にそれが定着化していく場合もある。
 つまり、自分でもトンデモない意見だと自覚していたはずのものが、やがてその人の本意になってしまうのだ。
 これも、一種の「脳内補完」なのかもしれない。
 自分の意見をしっかり見定めていない限り、どこからでも、「脳内補完」は生まれるものなのだ。

ここにネット言説のスタンピードというのが足されちゃんだろーな。みんなもっとクールに行こうぜ。


山本弘掲示板の復活が楽しみです。