よみうりランド 仮面ライダー響鬼 ショーレポート 七之巻「伸びる魔物」

http://www.geocities.jp/kasindoux/heroshow/yomiuri050919/


個性的で生き生きしたキャラクターのやりとり、大人のファンもうなる愛のある『響鬼』世界の設定の活かしかた、時事ネタを含んだギャグの数々。
もちろんこのレポじゃあ全然伝わらないけど、毎回少しずつ変化させた芝居や、常に新しい技にチャレンジしていく殺陣はリピーターの観客を飽きさせない。
そしてなによりも子供たちに支持されているヒーロー!目の前で命を懸けて戦う*1仮面ライダーたちに対する子供たちの熱い応援は本物だ。

テレビで観られない、テレビ以上の理想の『響鬼』がここにあるといってもいい。ちょっと持ち上げすぎかな?
それをいつも観ているせいもあるかもしれないけど、29話以前で満足している人に対して納得いかないのは、以前から書いてるけど響鬼はもっと上を目指せたはずなのになぜそれを望まないんだろう?と思っているからだ。


たとえば妖怪ネタにしてもよみうりランドのシナリオでやってきた「鬼の元祖・役小角」とか「現代によみがえった鵺退治」とか「魔化魍一寸法師」とかさ。こんなに美味しいネタをほっぽらかしてテレビで山の害獣退治を何回もだらだら見せられてたんじゃあそりゃあ文句も言いたくなるってもんです。


「昔話は、必ずしも作り話じゃないんです。魔化魍と、鬼との戦いが言い伝えになったのが多いらしいですよ」
「鬼の存在を隠すために、鬼が悪者って話が多いけどねえ」
なんてやりとり、本当はテレビできちんとやるべきでしょう。それとも本編でもそのうち出てくるのかな?*2



「響き交わす鬼」の一件以降、「高寺信者」とは別に「妖怪ファン」がいることがわかったけど、そもそも響鬼の妖怪の扱いってそんなに妖怪ファンが褒めるようなものか?という疑問が抜きがたくある。そのためにわざわざ「魔化魍」という言葉を新造して、妖怪とは違うんですよ、とエクスキューズしているのかもしれないけど。

響鬼で描かれてる魔化魍は、『誰か(洋館の男女?)の意志で人を襲うためにだけ作られる巨大生物』であってそれ以上でも以下でもない。ついでに言えば、魔化魍は個性を与えられていない、という点で、同じ巨大生物である怪獣以下なのである。というのも、魔化魍の存在意義は『人を食べること』だけであって、たとえばウルトラマンゴジラシリーズに出てくる怪獣のバリエーションと比べればその差は歴然。単なる殺人マシーンの外見がカニだろうがエイだろうが皆同じ。見た目の問題ではないのである。それを毎回同じ方法で退治するさまを何ヶ月もルーチンワークで見せられては、「特撮ファンの1年ローテーションの鑑賞グセ」や「何百年も前から延々と続きこれからも続く戦い」以前に、作り手は視聴者が飽きないようにシリーズ構成ちゃんと考えてるのか?とかこの脚本家は引き出しが全然ないんじゃないか?と考えるほうが普通であろう。そもそもあの動物CGに妖怪を重ねていいのかどうか。
結局魔化魍(妖怪ではない!)の魅力は怪獣に遠く及ばない。フィギュアを欲しい子供もいないのじゃないか?欲しければ魚屋さんに行けばよいのかな。
魔化魍スズメバチに例えるのもいいけど劇中で何人も人が死んでるのだ。猛士たちは本気でやってるのか?人間は必要にせまられて天然痘を撲滅させることさえしたというのに。
魔化魍となぜ秘密裏に戦わなければならないか、と言う点でまったく説明のない猛士はあまりにも不可解すぎるし、なぜそれで納得できるのが不思議。
あえて言えばこんな猛士で、魔化魍で満足するのって、志が低くないか?


正直あんな扱いでよく妖怪ファンが怒らないものだと思う。
カシャについては劇中でも登場人物達が違和感を感じる、とセリフがあるので、それに違和感がある、というなら制作者側のねらいどおりなのであって、怒るようなことでもない。以前都会に魔化魍が出た第17・18話で、なにか制作者側に明確な目的があるのかと思えば単にオオナマズの棲む水源が都会になったというだけの話でガッカリしたのと比べれば、今回はよっぽど意味がありそうだと感じる。


ところで信者がよく使う「緻密な設定」という物言いは全然正確じゃないからイジられるわけで、せめて「ユニークな設定」とだけ言えばいいのに。以前から書いてるけどこれは別に貶し言葉ではなく、キャラクタービジネスにおいては最大級の褒め言葉だ。いかに多くのクリエイターが「ユニーク」を自分のものにしたくて苦労を重ねていることか!




話は変わるけどてれびくん全プレの明日夢鬼について落胆している人を見ると、いや実に管見だと思う。
自分が見たのはここね。
http://www.cow-spot.net/cgi/bbs8/img.cgi
あれって毎年やってる夢オチのお遊びファンサービス企画なわけで、それに怒っている人は、お笑いコントを見て「こんなやついねえ!」と本気で怒っているようなものだ。ただもう脱力。
大丈夫おいちゃん言わないでおくからさ!


朱鬼のデザインに関しては、ぱっと見の印象ではたしかに手放しでは褒められないものの(インパクトという点では優秀)、掲示板にあるとおり鬼≠正義のライダーということを示すキャラなら、肥大化した泣いた鬼のエンブレムのついたあのデザインは意味深だ。それこそオニババに絡めて考察するのが大人の妖怪ファンの余裕ではないだろうか。


結局のところ、『一番おもしろいのは自分の脳内で補完した作品』というのは当たり前なのだけど、それを実際の作品とごっちゃにするのはなんだし、それを他人に伝えようとするならもっとロジカルに、それでいてうまいことまるめこんでいかないとダメなんじゃーないかと思う。
自分で、「自分の見たかったものと違うから文句言ってる」と自覚しているならともかく、自覚出来てない意見は傍から見てちょっとなあ。だいたい旧制作体勢が妖怪文学に対してそれほどリスペクトしているようにも思えないのだが。ついでに言えば石ノ森御大に対してもなんだけど。また踊らされてるんでないかい?
番組終了後に大全集が出て、高寺PDが「陰陽道や妖怪伝説なんかからおいしいところを引っ張ってきて設定作りました!」みたいなコメントしてたら笑うしかない。



君は妖怪に対する教養がないからそんな意見なんだ!1年シリーズだと思って観ているから*3そんなふうに呪われているんだ!と言われるかもしれないけど、大人も含めた普通の視聴者が鬼譚文学の素養があるわけもないし、求められてもいないし、作り手がそれを本当に大事にしていたのかも疑問。
結局「神は細部に宿る」とはいえ、古今東西万人を感動させるのは人間のドラマなのだし、各キャラクターの立ち位置、役割を明確にしている井上脚本のほうが以前よりはるかにまともだと思うんだけどネ。

*1:大袈裟なようだが、実際行われているアクションはヘタをすれば大怪我しかねないものも少なくない

*2:よみうりランドのショーのシナリオはテレビの脚本を放映前に入手してセリフや設定を引用することが多いのであり得ることなのである

*3:タダで番組ができるわけじゃないし、打ち切りもないわけじゃないんだからさ……