電波男を読んで

http://d.hatena.ne.jp/echammer/20050521

昨日の拙い文は結論的にはこれを書こうとしてたのです。自分は文才ないね。
やっぱり同じような読み方をしている人はいるのだなーと思う。
「家」に回帰というのはいい年になってくるとやはり感じてしまうよ。

電波男では顔に対するコンプレックスがよく出てくるが、先天的に身体的な障害を持つ人の前ではやはり自論を声高に主張することはできないのではないか。
というのを初めに読んだとき思ったのだけど、タイトルの「電波男」それ自体が自虐的なギャグなわけで、本気の本気でツッコむのも野暮なのかなあとも思う。


見た目というより結局コミュニケーション力の問題なんだよね。

本田氏と以前つきあいのあったライターの方のブログを読むとそう思う。
http://masa-1.air-nifty.com/mono/2005/05/post_8b6b.html

21日の日記の女房論の文章もすごく納得できる内容。

それはともかく、「モテナイ奴」だ。彼らはともかく、「女性的なあるもの」というのを強く追い求めている。が、それは「ホモサピエンスのメス」と呼ばれる生物にぴったりと重なるものであるか、というと極めて疑問なのである。先に結論を言っちゃうと、「モテナイ奴」の脳内彼女というのは結局のところ物理的な男性要素をすべて排除した自分自身に、母親の匂いを混ぜ込んだものなのではないか、と考えている。

とりあえず奥さんはいいや。